「要石」を祀る由来
上記古歌は、要石に鹿島の大神が降臨して守護っているから日本の国土はぐらぐらしないと云う意味です。要石は鹿島神社以外の神社には祀られていません。俗に要石を拝むと云う事は家庭的にも社会的にも、精神的にどんな地震が起きたとしてもびくともしない不動の精神を養うと云う信仰の精神を持つということです。すなわち人間の「へそ」であり、其の「へそ」が要石とも云えます。
現在鹿島神社境内に祀られている要石は昭和48年故事来歴により奉納された「約10トン」の要石で往古の要石と共に祀られています。鹿島神社の境内にある要石は、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)※1の象徴として国家の鎮護の石剣として祀られている事は有名です。この要石は国を鎮める意想で日本国をとりまく「リュウ」を鎮める石剣とされています。「リュウ」龍は古代では海水を意味し、日本をとりまく「リュウ」が転化してナマズ(鯰)になりました。 地震は地下にもぐった鯰の寝がえりだとされていて、この要石は地震ナマズを永遠におさえていると云う信仰をうんだのです。(日本民族学全集より)
加美町鎮守鹿島神社社殿の西御山下の老杉の根元に要石があります。
安永書上の風土記にも高さ1尺2寸余、廻り4尺8寸余(住古より要石と申伝候事)とあり、頭の方1尺余り出ているが地下の大鯰の背中に達していると云われて来たもの、これは常陸の鹿島神宮の要石に模したものと伝えられます(風土記参照)
常陸(茨城県)鹿島神宮の要石の伝説によれば昔その地方にしばしば地震があり、それは地下に大鯰がいてあばれるからだと云うので、鹿島の神々達が相談の上大きな石の棒(石剣)で鯰の頭を釘刺してしとめました。それが即ち要石で地震の際にはこの要石は殊の外大いに揺れるがどうしても抜くことが出来ないと云われて来ました。
我が地方においても大地震はくるけれども鹿島神社には要石が祀られているから昔から大きな災害がないと語り伝えられています。
※1 古事記では建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)